アルプスの少女ハイジ

  • 第17話 二人のお客さま

春になって、おじいさんの小屋に二人のお客がやってきます。
一人は村の牧師さん。もともとおじいさんは牧師さんのうち(教会?)のとなりに住んでいたようです。牧師さんはハイジを学校に行かせるように、おじいさんを説得にきたのですが、おじいさんは頑としてゆずりません。「山羊や鳥から悪いことはおそわらない!」と言います。また、「雪山のなかを学校に通わすなんてできない」とも言います。牧師さんはおじいさんを訴えるかもしれないと言って帰っていきます。
もう一人のお客さんは、デーテおばさんでした。フランクフルトのお金持ちの家で住み込みで働いているらしく、きれいなドレスを着て村に戻ってきました。そして、おじいさんにハイジをフランクフルトに連れていくと言います。

  • 第18話 離ればなれに

デーテの雇い主の親戚にフランクフルトで一、二を争う大金持ちがいるのですが、その家のお嬢さんが足が悪くて家庭教師についてさびしく勉強しているというのです。誰か一緒に勉強してくれるいい子はいないかねえ、ということを聞きつけたデーテがハイジを推薦して話をつけてきちゃったというのです。デーテが言うには、身体の弱い子だからこの先どうなるかわかりゃしない。つまり死んじゃうかもってこと。で、そうなったら、思わぬ幸せが舞い込んでくるかも。ってハイジが養女になって、お金もがっぽりみたいな。すんごい、えげつないこと考えてますね、デーテ。まあ、そんなものでしょうか、人間て。
それはともかく、もちろん、おじいさんは反対するのですが、デーテはハイジをだまくらかしてフランクフルトに連れていってしまいます。今日中におばあさんに白パンを買って帰ってこれるよって。ひどいよ、デーテ。
おじいさんは、ハイジが行ってしまうのを見送り、小屋の椅子にポツンと座ってガクーーンとなっているのでした。
デーテとおじいさんが言い争う場面で、デーテは「おじさんの過去洗いざらい言ってもいいのよ」みたいなことを言って、おじいさんを激怒させます。おじいさんの過去って一体何があったのでしょう。ほんとうに気になります。

  • 第19話 フランクフルトへ

ハイジは汽車にのってフランクフルトに向かいます。一日以上かかる長い旅です。
汽車の客室の中で、向かいの乗客のひざで寝ている赤ちゃんにかけてあった掛け布団がおっこちたので拾ってかけてあげたのですが、赤ちゃんが泣き出してしまい、他の乗客から「何この子は」みたいな目で見られるハイジです。都会の人たち、冷たい……
ようやくゼーゼマン家のお屋敷に到着しました。すっかり夜です。
そして、とうとう登場です! ロッテンマイヤー女史の!!
ハイジとご対面したロッテンマイヤー女史は、ハイジが8歳で字が読めなくて礼儀を知らないということに怒り、話が違うじゃないの!!とデーテに迫りますが、デーテは「いいえ、気性のはっきりした個性の強い子という注文どおりです!!」ときっぱり言い切って、とっととハイジを置いて帰ってしまいました。デーテって……
ハイジはほんとは洗礼を受けていませんが、デーテがハイジの母親の洗礼名と同じアーデルハイドですとごまかしたので、ハイジはロッテンマイヤーさんからは、アーデルハイドと呼ばれることになりました。

  • 第20話 新しい生活

ゼーゼマン家での新しい生活がはじまりました。ロッテンマイヤーさんはものすごく礼儀作法にうるさいです。召使に礼を言う必要はなく、馴れ馴れしく話し掛けてもいけない、などなど。
食事のときもロッテンマイヤーさんはうるさいです。クララは小指をたててお食事してます。ハイジは白パンをこっそりかくしました。おばあさんに持っていくためです。
クララのママは、クララが小さいときに死んでしまいました。パパは仕事でパリに行ったきりです。クララはずっとさびしい思いをしてたのです。ハイジは山に帰りたくてしょうがないのですが、クララもかわいそうなので、しばらくぜーゼーマン家にいることをクララに約束しました。
ハイジが指で数を数える場面で2は日本なら普通チョキにしますが、親指と人差し指をだして数えてました。スイスではこういう数え方が多いのかな。この辺、さすが芸のこまかいとこです。
ハイジは欧州でも広く放映され、人気があるようですが、日本のアニメとしては認識されていなかったようです。それはヨーロッパを舞台としているということもありますが、このような芸のこまかさ、リアルさが、よもや日本人の作ったものだとは思いも至らせなかったのでしょう。
このへんのこと探ってたら面白い卒論みつけました。
日本映画の海外評価 −フランスにおけるミヤザキ批評をモデルとして
指導教官はわたしも学校でお世話になっている先生です。
あと、ネットでちらっと読んで印象に残っていた記事、やっと見つけ出しました。
姿を現し出した「ハウル」 鈴木敏夫プロデューサーに聞く」という読売新聞の記事です。
そのなかにこうあります。

むしろ驚かされたのは、ヨーロッパの人々への「母をたずねて三千里」と「アルプスの少女ハイジ」の影響力。というのも、オーストリア若い女性記者に聞かれた質問にこんなものがあったんです。「私たちは『ハイジ』や『三千里』を、日本人が作ったとは知らずにテレビで観て育った。この二つの作品が、既にヨーロッパの文化の一部を形成しているという意識はあるか?」と。他の質問にはすらすら答えたつもりですが、この質問には詰まってしまいまして。

この記事を読んだとき、なんか泣けました。