フランス革命記念日

今日はフランス革命記念日です。
1789年、パリの民衆がバスチーユ牢獄を襲撃し、フランス大革命の口火を切った日であります。
フランスでは国をあげてお祝いです。自分らの国ができることになった記念日ですから。
フランスでは7月14日には大規模な軍事パレードが行われるわけでして、お国を守るために戦う兵隊さんたちは、嫌悪感なく受け入れられているようです。(もちろん、フランス軍帝国主義軍隊として批判しているひとたちもいるでしょう)
自分たち人民が打ち建てた国だから自分たちで守っていかなくっちゃならない、そういう教育がなされ、そういった感情は比較的違和感なくうけいれられていると思います。


では、日本はどうでしょうか。
日本は2月11日が「建国記念の日」ということで休日になってますが、なにそれ?
神武天皇が即位した日ってことらしいが、神武天皇なんて実在してないし。
圧倒的多数を占める戦後生まれの日本人はこの日をなんとも思ってないでしょう。
昨今、愛国心ということがよく言われます。
わたしたちはこの国は自分たちが打ち建てた国だと考え、この国を愛しているでしょうか?
まず建国記念の日なんていったって、なんの根拠もないわけで、古代天皇制権力が自分たちの権力の正当性をでっちあげるために作り出した神話のなかの話でしかない。その後の武家社会の中ではまったく忘れさられていたことでしょう。それを明治以降の権力が持ち出してきて紀元節とかいって、人民大衆に旗ふらさせて、愛国心を涵養するための手段としていたものです。


では、明治政府の権力が打ち建てられたことは「革命」として、人民大衆が祝いうるべきことなのでしょうか?
江戸幕府が崩壊していく過程というのは、黒船に象徴される西欧諸国からの圧力を受けて、幕府権力に不満をもつ諸藩の武士階級が立ち上がって幕府を打ち倒した(大政奉還という権力委譲)という側面と、社会全般が封建制度ではたちゆかなくなって、民衆レベルでものすごい不満がゴウゴウと沸き起こっていたことが実質的な幕府権力を打倒する推進力となっていたという側面があります。当時は百姓一揆や打ちこわしという民衆蜂起がかなり大規模にありました。だから、人民大衆が幕府を倒したんだ、ということで誇りに思っていいわけですが、実際に権力の座についた明治政府の役人たち、つまりもと武士階級の連中は天皇を担ぎだしてきて、天皇を中心とする国家権力の機構をつくりあげていくのです。開国して世界のなかの一員になった日本が西欧諸国との激しい競争のなかで、侵略され植民地化されることをさけるために、明治政府権力は富国強兵政策をとります。これまでお百姓として、おらが村で田んぼ仕事をして、せいぜい隣村のねえちゃんがきれいだぞ、ぐらいの話題しかないような狭い世界のなかで生きてきた圧倒的多数の人民大衆を、お国のために働き、戦うことのできる国民にしていく必要が生じたわけです。そこで登場したのが、明治政府によって再編された天皇制だったのです。明治政府権力というのは人民大衆の生活をかけた戦い(一揆や打ちこわし)を底力として打ち建てられた権力であるにもかかわらず、その実質的力はもと武士階級(の一部)と彼らのスポンサーとなり得た資本家によって牛耳られてしまったのです。だから、戦前の人民大衆が天皇制をあがめたてまつった愛国心というのは、でっちあげの欺瞞的なものでしかなかったのです。


では、第二次大戦後、日本国憲法にもとづき成立した現政治権力についてはどうでしょうか? わたしたちは、この「日本国」というのを「自分たちの国」として愛し、命をかけても守っていくぞと考えることができるでしょうか? できるとしたらその根拠は?
すくなくともわたしはこの「日本国」を自分たちで打ち建てた国だとは考えていません。戦後の国際政治のなかで、連合国側(主要にアメリカ帝国主義)の意図によって再編され、でっちあげられた国だと考えています。だからってべつにアメリカ帝国主義の傀儡政権てわけではなく、実質的にいまの権力を握っているのは、日本の資本家階級(大企業経営陣とその親族および血縁はなくとも後継者たらんとするもの)と、彼らの意を汲む国家官僚機構と、さらに連中の代弁者にすぎぬ政治家たちである、と考えます。でも政治家は選挙で選ばれた人たちだし、役人や社長になるのは努力してその地位を勝ち得た人たちなわけで、民主的で平等じゃないっすか! という意見もあるでしょうが、いまの選挙がほんとに民意を反映してるとお思いですか? 商売がほんとに公平なルールのもと行われてますか? 勉強したくても進学できないという人なんてもういないというのでしょうか?


いま、憲法を変えるということが現実味を帯びて議論されるようになってきました。これは「日本国のあり方」というのを変えていこうということだと思います。じつは「日本人には愛国心がないなあ」ということで困っているのは、現国家権力の人たちです。愛国心とはなにかというと、簡単に言えば「国のために死ねる」ということでしょう。そういう心をもった兵隊さんがほしい! というのが今の国家権力の切実な願いだと思います。靖国問題の根っこも実はそこにあると思います。
自民党などの考える憲法「改正」というのは、今の憲法戦勝国に押し付けられた憲法だから、自分たちで決めた憲法をつくなくちゃならない、ということだと思います。これができたら確かに愛国心って盛り上がっちゃうかもしれない、グッドアイデアだと思います。日本人に愛国心ないのは個人と全体(国家)との関係がきわめてあいまいだからだと思います。この国のなりたち、ということにやっぱ確信ないんだと思います。でも、国の基本である憲法を自分たちで決めたよ! てことになれば、なんとなくエヘンて感じになるんじゃないかな。で、自分らで決めたことだから、守んなくちゃなってことになりますよね。
問題なのは中身なわけです。自民党の人らが一番変えたいのは9条ですよね。自衛隊はもう海外にも行ってるわけで、戦力としてあるわけだから、このさい、はっきりさせようよということです。日本の「国益」のためなら戦争やれちゃう軍隊が欲しくてしょうがないんだと思います。
たしかに日本の軍事力不保持ってのは、かなりヘンだと、わたしも思います。なんでこんな条文があるのかというと、日本人がまた戦争やらないように、完全に軍事力をなくしてしまおう!というアメリカ帝国主義の自分勝手な論理だったと思います。だから、中国に共産党政権ができたとたんに、手のひら返してすぐに警察予備隊を作らせて、安保条約もつくって、日本を共産圏に対する防波堤にしてしまったわけです。なんて自分勝手なんでしょう、アメリカ帝国主義って。やること支離滅裂だわ。だから、自衛隊という軍隊がれっきとして存在しているのに、憲法では戦力不保持をいっているというねじれ状態を、スッキリさせたいということでしょう。
わたしもスッキリさせた方がいいと思います。
いまの国家権力が考えていることは、
 戦争のできる憲法国民投票で決める。
 自分らで決めた憲法を中心に愛国心を高める。
 立派な軍隊をつくって国連常任理事国にもなって世界の大国になる。
 スッキリ
というようなことだと思います。
ではわたしの考えるスッキリとは。
 国家権力なんてなくしてしまって、
 すべての人々の自覚的行動によって世の中がうまいこと回っていく
ということですかね。
つまり愛国心なんていらねえ! てことです。
それよりも、自分の身の回りにいる人を愛し、世界全体を、人類を自然を愛したいです。


フランス革命記念日にこんなことを考えました。