本日9月28日はフランスの文豪にして闘うジャーナリストでもあった
エミール・ゾラ Emile Zola の命日です。
右の画像はマネによるゾラ。壁に浮世絵が貼ってあったりします。


「ジェルミナール Germinal」の続きを読みます。
P5「作品とその作者」の続きからです。
エミール・ゾラ1840年4月2日、パリで生まれた。プロヴァンスで少年時代を過ごした後、彼はパリに戻ってきてジャーナリストとして働いた。彼は1867年、最初の小説「テレーズ・ラカン」を書いた。彼は大きな成功を収めたが、多くの敵をも得た。「大衆はこんなにも暴力的で写実的な文学に慣れていない」(と敵は言った)1868年、彼は最初の小説に続く作品を書くことを決めた。それが「ルーゴン・マッカール叢書」(第二帝政下におけるある家系の自然で社会的な歴史)となる。「ジェルミナール」は1885年に出版されたもので、第13巻にあたる。ゾラは有名になっていたが、彼は愛されるのと同じくらい嫌われもした。彼の人生の最後はある闘いによって記憶されている。ユダヤ人であるがゆえに不正にも反逆罪に問われたドレフュス大尉を擁護するために彼が先頭にたった闘いによって。「私は弾劾する」という一つの記事をもって―それはフランスのジャーナリズムの歴史のなかで最も有名になった記事なのだが―彼(ゾラ)はドレフュス事件を白日のもとにさらした。ゾラは1902年9月28日、窒息死した。


ゾラの死にはいまだ謎があります。ゾラの生涯 [DVD]
暖炉の火の不完全燃焼による一酸化炭素中毒が直接の死因なのですが、
本人の火の不始末なのか、何者かによる事故を装った殺人なのかという説があります。
なにしろ、ドレフュス事件でうらみをいっぱい買っているので。
ゾラの生涯をかなり脚色して映画化したのがこちら。
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史実と反することも多いのであんまり勧められないです、この映画は。
ドレフュス事件とコミコミでゾラの生涯を知りたい方はこちらの本がおすすめです。
ドレフュス事件とエミール・ゾラ 告発