白石嘉治・大野英士編著「ネオリベ現代生活批判序説」読了。
ネオリベ」とはネオリベラリズムのことを侮蔑をこめて呼んでいることば。
埼玉大学での非常勤講師大量解雇策動をまずとりあげ
実用的な英語以外の外国語教育がバッサリと切り捨てられていく大学教育の荒廃という
社会のネオリベ化の最先端を提示しつつ
それに抗する人々のインタヴューでもって
人間らしい生活をいかに取り戻すべきか、その抵抗論について語られている。
インタヴューを受けているのは以下の4人の方々。
入江公康
樫村愛子
矢部史郎
岡山茂氏
しかし、もっとも興味深かったのは、あとがきで編著者が提起している二つの論点である。

 第一の論点とは、大学の無償化である。これは空想的なものではない。現実に、多くのヨーロッパ諸国では授業料は無償である。そして日本政府は、現実に、国連から高等教育の無償化をせまられてもいる。しかも、その期限は二〇〇六年六月末日である。(中略)
 だが、端的にいって、大学は無償でなければならない。デリダブルデューをもちだすまでもなく、普通(=ユニヴァーサル)選挙と同様に、大学(=ユニヴァーシティ)で教育を受ける権利は、少なくとも経済的な制限があってはならないものである。(中略)
 学生たちもまた、授業料という「条件」に拘束されることなく、その「自律性」を享受できるはずである。そして、個人を単位にした大規模な給付が可能であり、妥当なものであるという意味で、大学の無償化はいわばポストネオリベラリズムの手がかりとなる第二の論点へと通じているのである。
 その第二の論点とは、ベーシックインカム(basic income)である。(中略)
 つまり、ベーシックインカムとは、税体系の大胆な簡略化をおこないつつ、生活に必要な所得を各個人に「無条件」に与えることである。
 これは空想的なのだろうか? 現実的なのだだろうか? 理論としては、現実的であるというべきだろう。(中略)
 われわれはみずからの生を肯定するために、ベーシックインカムという理念的かつ現実的なものへの想像力を獲得すべきである。ベーシックインカムによって、われわれは労働力市場から離脱する権利を手にすることができる。つまり、ベーシックインカムという連帯において、誰もが国家と市場原理が結びついたネオリベラリズムに抵抗しうるのであり、「当事者性」と「自律性」、あるいは「自己開示」の可能性が取り戻される。そのとき、生が「無条件」に肯定される地平、すなわち生の普遍的な条件の一端が切り開かれるのである。

編著者がフランス文学専攻の方なこともあって
おもにフランスの哲学者・思想家らの理論でもって斬られている。
ラカンとかブルデューとか、もっともっと勉強しなくちゃと思う。