水俣病認定50年

水俣病の認定から50年になることにちなんで
日比谷公会堂の前から水俣病にちなんだ場所を歩く
「叢想行進」に参加してきました。
日比谷公会堂での受付では
不知火海でとれたお塩と、行進のときに見につける紺色の布とプログラムを渡されました。
プログラムに記されたこの企画の趣旨です。

 猛毒の有機水銀によって汚されたのは不知火海ですが、病んでいたのはむしろ東京の法ではないでしょうか。この事件の発生と拡大につながる意志決定はここ東京で行われました。否応なく近現代の日本を象徴するこの首都の中心で、あの時、何があったのか。どうすれば繰り返されないのか。本日はそんな想いをもつ一人ひとりが、不知火の海の色で肩を染め、不知火の海の“しお”を手に、この国と自らの蘇生を願って、静かにこの地を歩きます。先導人として、不知火の海辺から多くの患者の方々においでいただいています。

参加者は全部で300人ほどでしょうか。
紺の布は、ネクタイのようにむすんだり、バンダナのように首にまいたり、
ショールのように肩にかけたり、
みな思い思いに身につけていました。
出発前に患者の方々から短いあいさつがありました。
不知火海のお塩については、料理につかって身体にとりこんで欲しいと
おっしゃっていました。
歩いたのは次のところ。
環境省 公害病の主務官庁
日比谷・松本楼 水俣病の原因を有機水銀とした食品衛生調査会食中毒部会の行われた場所
東京地裁 直接交渉を求めてチッソ本社を訪れた患者リーダー川本輝夫さんが、チッソ従業員に暴行を働いたとして起訴され、その有罪判決を下した場所
丸の内警察署 チッソ東京本社前に座り込みをした患者・支援者とチッソ従業員が衝突したさい、患者・支援者が連行された場所
チッソ本社入居ビル跡 かつての東京ビルヂングチッソ本社は入居していた。
午後からは田口ランディ平田オリザ、上条恒彦らの講演会でした。
わたしは参加しませんでしたが、NHKのニュースによると2000人の参加があったそうです。


水俣病の問題はけっして終わってはいないと思います。
化学物質づけの自分たちの生活を見つめなおさなければいけないし、
巨大企業の利益を最優先にする政治のあり方を考えなければいけないなと思います。