三島由紀夫文化防衛論 (ちくま文庫)」電車の中で読了。
文化防衛論 (ちくま文庫)
ほかの三島作品はお風呂で読んでますが
これはお風呂じゃ読めないなと思って
今回の電車旅の最中に読みました。

 では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが半時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて戦わなければならないと信じているからである。
反革命宣言」より
 このような文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件を充たし、時間的連続性が祭祀につながると共に、空間的連続性は時には政治的無秩序をさえ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では古来の神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照応している。
 「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には、「みやび」はテロリズムの形態をさえとった。すなわち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手をさしのべていたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態においているときは、「国と民族との非分離」を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。
「文化防衛論」より
ギリシア人は美しく生き美しく死ぬことを望んだといわれています。(中略)それじゃ醜く死ぬというのは何だろうと思うと、これはだんだんにいろいろな世間的な名誉の滓がたまって、そして床の中でたれ流しになって死ぬことです。私はそれが嫌で嫌でおそろしくたまらない。きっと私もそうなるかもしれないですね。だからそれがおそろしいから、いまいまいろなことをやって、なるたけ早く何か決着がつくように企んでいる。
「学生とのティーチ・イン」より