作田明・福島章編「現代の犯罪」斜め読み。
現代の犯罪


 三島由紀夫は、おおよそ三つの面で犯罪にかかわりが深い。
 第一は、三島の小説には、犯罪などの社会的な事件を素材としたものが比較的多いということである。(中略)
 第二は、三島の私生活には、同性愛という性的倒錯が認められた。これは日本では犯罪となる行為ではないが、キリスト教の影響の強い西欧においては、同性愛は宗教的・道徳的な罪であり、近年までは刑法上の罪でもあった。(中略)
 第三は、自衛隊乱入によって、彼が住居侵入、威力業務望外、強要、監禁などのの刑法上の罪を犯し、法律的にも<犯罪者>として、その生涯を終えた事実がある。(中略)
 考えてみると、軍国主義の時代に、彼は軟弱な文学少年として精神形成を遂げた。東大法学部にあって、彼は文学青年としての道を選んだ。作家としての名声にかげりが出たことから、創作以外の社会的活動に関心が移っていった。小説化が「文の人」であるという常識に反して、「尚武」や「身体」を重視して、剣道やボディ・ビルに力を入れた。思想的には、民主主義の時代に反動的な天皇主義を訴え、全共闘運動の全盛期に復古主義的な日本主義を唱えて世間を驚かせた。私兵組織「楯の会」や自衛隊乱入事件はその最も象徴的な事件である。
 こうしてみると、三島由紀夫の生涯は、社会が期待し、社会の主流となっているものとは常に<反対のもの>を自分のアイデンティティとして主張することによって自分の存在を確認する生涯であったということができる。別の言い方をすれば、彼は<普通の人>でいることができなかった。それは、彼が分裂気質圏の人として、一種の離人間に脅かされていたからであろう。また、分裂病の発病する危機を防衛するために、あえて鮮明な存在意識を求めて、通常人とは反対のことを目指していたのであろう。

こういう見方もあるのか。
同意できないなあ。
これでは、三島文学がなぜ多くの人に受け入れられているのかが説明できない。読者はみんな分裂気質だと言ってしまえばそれまでだが。