高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに」読了。
高岡センセと達人、名人の方々との対談集。
塩田剛三氏の言われていたことが興味深いです。

高岡 植芝先生の非常なる修行の結果、自由闊達の境地で動かれている姿から、どのようにして基本を実際に選び出されたんですか。
塩田 歩き方ばかりでなく、勘ですね。勘と体がパッと一致するということが大事じゃないかと思います。例えばお風呂に入った先生の背中を流しているとして、頭に水をかけろと言われてからかけたんじゃもう遅いんですよ。それでは受けはできません。だから言われるとき、いわゆる気の起こり――それがポッといったときサッとやるというふうにすること。先生が桶が欲しいという起こりのときにパッと持っていくという練習を随分いたしました。そうしないと先生の真の受けというのは出来ないと思いました。

塩田氏も植芝氏もかなり小柄な方であるにもかかわらず
大男をひょいひょい投げ飛ばしていたわけで
そんな極意の一端はこんなところにあるんだろうと思いました。
現代の合気道については自分もいくらか批判的な意見をもっていますが
個人としてみれば、この二人はやはり達人であろうと思います。


同じく塩田氏との対談で高岡センセはこう語っておられます。

私も十八の頃、友達連中が一緒にやりたいということで武道を教え始めまして、まがりなりにも人に指導するということをずっと今まで二十五年やってきたんですよ。その間、自分も修行してきましたけれども、武道のことで金を得ようとは、ただの一度も考えたことがなかったですね。未だに考えてません。やはり自分がまがりなりにも武道で学んだことを通して社会にお役に立てることがあるとすれば、そういう脇目も振らない、金のことは何も考えない、思う存分打ち込んできたそこから得られたもの、そうしたからこそ得られたというものが多いですね。

しかし、いまのセンセのご活動をみますに、随分変られたのではと思うのは
私ひとりではありますまい。