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三島由紀夫の「愛の渇き (新潮文庫)」おふろで読了。
杉本悦子は、女性問題で彼女を悩ませつづけた夫が急逝すると、舅弥吉の別荘兼農園に見を寄せ、間もなく彼と肉体関係に陥った。彼女は夜ごと弥吉の骸骨のような手の愛撫を受けながら、一方では、園丁三郎の若々しい肉体と素朴な心に惹かれていく。だが、三郎には女中の美代という恋人がいることを知った時、悦子は……。<神なき人間の逆説的な幸福の探求>を主題にした野心作。
ていうか、この作品は
「下から上を見たときも、上から下を見たときも、階級意識というのものは嫉妬の代替物になりうるのだ。」
という一節が全てなんじゃないかと思った、直感的に。
嫉妬の話。
先日NHKアーカイブスで見た三島の番組の中で見たのですが
三島は寺山修二と対談して
「エロスとは欠乏の精神である」
と言っていたらしい。
これでストーンときたのですが、
昨日の「三島由紀夫の二・二六事件 (文春新書)」でも指摘されているように
「憂国」は事件に参加できなかった将校が割腹自殺することを
極めて美しく描いている。
三島を読み進めて行く上での視点が少し定まってきたような。
ところで、嫁が舅と関係するっていうのは
手塚治虫の「奇子」でも扱われてました。
私は大都社版で中学時代にこれ読んだんですが
戦後の黒い霧事件を背景に日本人の精神構造の暗闇をえぐった
手塚作品の中でも傑作です。
で、手塚と三島と言えば「ばるぼら (KADOKAWA絶品コミック)」ですね。
吉本ばななが一番好きな手塚作品とか言ってたような。
もろに三島が主人公ですから、これは。
三島と手塚はほぼ同年代。
この二人を比較研究したりしたら、おもしろいと思いますよ。