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高橋哲哉著「靖国問題 (ちくま新書)」読了。
著者の意見にほぼ同感である。
軍事力をもち、戦争や武力行使を行う可能性のある国家は、必ず戦没者を顕彰する儀礼儀礼装置をもち、それによって戦死の悲哀を名誉に換え、国民を新たな戦争や武力行使に動員していく。
「国立追悼施設」が新たな戦死者の受け皿にならない必要条件とは何か。それは、この施設における「追悼」が決して「顕彰」とはならず、国家がその「追悼」を新たな戦争につなげていく回路が完全に絶たれていることである。具体的に言えば、国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄することである。また、「不戦の誓い」が宣徳力をもつためには、「過去の戦争」についての国家責任をきちんと果たすことが必要である。
A級戦犯を分祀すればいいとか、別の追悼施設を作ればいいとか、中国がどうこう言うからとかじゃなくて、
これから先、侵略戦争は絶対にしないんだという国を作ることこそ大事だと思う。
しかし、じゃあ、それはどんなふうにして可能なのかという問題はある。
また、人々は、いかに幸福に生きるかという条件が充たされると同時に、
いかに晴れ晴れと死ねるかという問題に答えが見出されなければ
やはり不幸であると思う。