和歌森太郎著「山伏―入峰・修行・呪法 (中公新書 48)」読了。
和歌森太郎先生といえば、近現代史がご専門の方かと思っていました。
小学校6年生のころ、和歌森先生が編集に参加された
日中、日米戦争に関する子供向けの歴史解説書を読んだ記憶があります。
ずいぶん勉強になりました。
ところが、先生のもともとのご専門は民俗学関係で
修験道についての著作も多くなされていると初めて知りました。

 実際、山伏の、日本の民衆生活を指導し、これに影響をあたえた度合はまことに深いものがある。山伏は宗教的呪術者であったのみならず、芸能の導入者であり、演出家であり、また医者、あるいは何事につけても村人の相談役であった。彼らは一面では薄気味悪い、一面ではたのもしく、畏敬されるものであった。しかも、山岳重畳たる日本列島では各地にこの山伏が活動し、里人がとかく抑圧されがちだった社会体制のものとで、望みの乏しいくらしに明け暮れるのを、あるいは慰め、あるいはあきらめさすものとなっていた。
 そういう意味では、山伏たちは、日本の歴史の推進者ではなく、むしろ逆の立場を占めてきたものだといわねばならない。彼らがのちにその修行上の祖師として仰いだ役小角、すなわち役行者などは、時の権力に追従しない、どちらかといえば、世の秩序に対し、民衆一般の代弁者として、批判的な言動をなしてとがめられた人間であるが、彼を継承したと称する山伏たちには、そういう反骨精神はなかった。
 だからといって、山伏や修験道のことは、日本歴史上の論題として無意義であるなどという単純な考え方を私は採らない。そうした山伏と深く交わり、またこれを支えてきた民衆の意識が、日本の歴史の進み方をかなり特色づけていると思うのである。単なる神道者でもなければ、仏教者でもない、その中間項としての山伏は、まったく世界に類を見ない独自なものである。こういう人間を生み出し、これとともに生活してきた日本民族は、たしかに不思議なものである。日本の民衆の固有信仰を基盤にして生い立ち、途中、貴族にも武家にもよく結びつき、やがてまた民衆社会に根をおろした山伏というものは、まさに日本民族的存在であったといってよかろう。日本歴史における民族の意義を考える上に、山伏、修験道の役割を無視できぬと思うわけである。

もともと私が修験道に興味をもったのは身体論的なとこからだったのですが
かなり深く日本社会の問題にリンクしていったりして
ゾクゾクする〜